女性に勝負下着があるように、カメラ好きの間にも勝負フィルムがある。
『写真はレンズで決まる』と良く言われているが、この言葉は正確ではない。

『写真はレンズとフィルムで決まる』

 筆者はこれが正解だと思う。それくらいにフィルムは写真にとって大きなファクターであると私は信じている。そんな筆者が勝負フィルムにしていたフィルムはコダックのリバーサルフィルムだった。PKRやEPN、EPR、E100Sといったフィルムがそれだった。

 初めて買ってもらったカメラは富士フイルム社製のAFコンパクトカメラだった。本当はニコンの一眼レフカメラが欲しかったものの、まだ年齢的に早いという理由で買って貰えなかった。疑うことなく富士の感度400のネガカラーフィルムを入れて、電車の写真を撮り歩いた。

 それから半年くらいして、得意の屁理屈で親を口説き落とし、貯金でニコンの一眼レフカメラを手に入れた。自分でシャッター速度を制御出来ることに物凄く感動を覚えた。この頃になると、写真に関しても多少の知識がついてきて、リバーサルフィルム(スライドフィルム)の存在を知るようになり、当時、鉄道や写真の雑誌などでメジャーの地位を確立していた富士フイルムのRDP2ことPROVIA 100を使うことに憧れるようになった。子供というのは「プロ」という言葉に憧れるものだと思う。プロ野球選手になりたいという子供は居ても、社会人野球の選手になりたいという人は聞いたことが無い。子供心に「プロ」という言葉には憧れてしまうもので、筆者も例外ではなく、名前がプロっぽくてカッコイイという安易な理由でPROVIAを使い始めるようになった。

 

 とは言え、スーパーファミコンよりもメガドライブ、プレイステーションよりもセガサターンを選ぶヘソ曲がりの筆者である。ちょっと変わったフィルムを使ってみたいという出来心から、Kodakのフィルムをツマミ食いし始めるようになった。しかし、写真を見れば分かる通りで、この様なパッケージを見ても、これが一体どんなフィルムなのか皆目検討もつかない。当時、何も分からずに選んだフィルムはEktachrome 100 PLUS (EPP)と当時Kodakが富士のVelViaに対抗して出したEktachrome Panther 100 (PRP)であった。ただ正直、当時は写真に対する知識が余りにも浅薄だった為に、フィルムの色味の差まで着目していなかった。赤の表現1つとっても、フィルムごとに違うということは全然気にしていなかった。無知とは怖い。

 

 その後、富士のPROVIAシリーズをメインに使っていたものの、ツマミ食い的にKodakのリバーサルフィルムを使っていたが、筆者をKodak党に改宗させる最初の出来事、それが左の画像のEktachrome E100Sとの出会いだった。筆者はPROVIAとは違うE100Sの色の世界に魅せられてしまった。そして、今までに撮影してきた富士とKodakの現像済みフィルムを比較し、Kodakの絵作りが分かるようになった。それからと言うもの、Kodakのフィルムを使う機会が増えた。

 しかし、単純に人とは違ったフィルムを使いたかったというヘソ曲がりな理由が根底にあったのも否めない事実(笑)

 

 

 ある日のこと、一冊の鉄道雑誌に組まれていた特集によって、コダックワールドの真髄のようなものを見せ付けられてしまった。

 鉄道ファンにはお馴染みの『Rail Magazine』誌である。この雑誌の2002年9月号に、『ED75重連 「ゆうづる」に燃えた日々』という特集が組まれていた。この「ゆうづる」という寝台列車は、筆者が最も好きだった列車の1つで、筆者にはどうも縁がなかったのか、一度も乗車も撮影も出来なかった。その因果で、この特集を食い入るように見てしまったのかもしれない。この特集に掲載されている写真の全ては35mm判と呼ばれる一般的なフィルムサイズのカメラで撮影されているが、目を見張るような解像力と質感描写に圧倒されてしまった。まるで中判フィルム(サイズの大きいフィルム)で撮影された写真のようだった。それは今までに筆者が味わったことの無い世界だった。

撮影データに書かれていたのはPKRの3文字。PKRというのはKodachrome 64 Proというフィルムを指すもので、この3文字(2文字の場合もある)で表現されるアルファベットはフィルム略号と呼ばれ、大方のプロやハイアマが用いる用語である。このPKRというフィルム、詳しい説明は他所様にまかせるとして、現像プロセスが特殊であることから、その解像力をはじめとした性能は段違いである。

 

 これがそのPKRである。このフィルムが描き出す世界は唯一無二である。今まで色々なフィルムを試してきたつもりだが、同じ現像プロセスを持つ姉妹フィルムのKLことKodachrome 200以外に、PKRと同じ世界観を持つフィルムにはとうとう巡り逢うことは出来なかった。叶うことなら、もう少し早くこのフィルムに出会いたかった。

 PKRおよびKL(以下、総称してコダクローム)を知ってからと言うもの、目の前の商品棚に並んでいながら、今まで見向きもしなかったことを激しく後悔した。今からでも遅くはない、今後はこいつを自分の勝負フィルムにしようと思った。

 

Film:Kodachrome 64 (KR)   

 大袈裟かもしれないが、勝負フィルムを使って撮影するときの緊張感は普段とは段違いのものがある。それだけ、その撮影にかける意気込みが違うからだ。シャッターを切る毎に手に汗を握る。撮り終えた後にフィルムを巻き取るときでさえ緊張する。巻き上げ時に絡まらないか?などと要らぬ心配をしてしまうのだった(笑)

 そして撮影を終えると、その脚で東京の京橋にある現像所に持ち込んだ。現像所にフィルムを渡した段階で、無事に現像所へ届けられたという安堵感があったが、本当のドキドキはこらからだった。コダクロームというフィルムは他のリバーサルフィルムと比較しても露出の決定が非常に難しい。よって、現像結果(アガリ)を見るまで安心は出来ない。単体露出計もなく、露出決定に苦手意識をもっていた筆者にとっては、まるで試験の合格発表を待っているときのような心境だった。 扱いが難しいコダクロームだったが、それでも勝負所で使いたかった理由は、やはり成功したときの喜びが他のフィルムでは得られないものがあったからだと思う。

 何時しか私はすっかりKodakの黄色い箱の虜になっていた。PKRを始めとしたコダクローム、そしてエクタクローム64、100、100PLUS、200、400ばかり買うようになった。コダクロームにはコダクロームの、エクタクロームにはエクタクロームの世界があり、そのどちらも筆者には魅力的な描写だった。コダクロームには、質感や臨場感が強烈に伝わる世界が広がり、エクタクロームには小さい時に図鑑で見たような極めて自然な色の世界が広がっている。

 Film:Ektachrome 64 Professional (EPR)
 
やっと自分の気に入ったフィルムが見つかったという時には、もう時既に遅しだった。予想を上回るデジタルカメラの勢いに、フィルムを使うカメラの需要は加速度的に減少した。筆者がKodakのフィルムを多用するようになってから、数多くのフィルムが製造終了の末路を辿った。

Color Negative Film:
Kodak Royal GOLD Series
Kodak HD400
Kodak Ektacolor 160 Pro

Color Reversal Film:
Kodak Ektachrome E100S
Kodak Ektachrome 64 (EPR) , 100 (EPN)
Kodak Kodachrome 64 Pro (PKR) ,  64 (KR) , 200 (KL)

 上記のフィルムは私が愛用していたフィルムで、現時点では全て生産終了、もしくは終了予定や国内販売終了のフィルムである。このフィルム以外にもEPD、EPL、EPH、テクニカルパンなどのKodakの定番フィルムが消えていった。


 結果的に自分の勝負フィルムだと思っていたフィルムを全て失ってしまった。別にKodakのフィルムが全て無くなったという訳ではない。ただ、Kodakの最新シリーズであるEktachrome E100GシリーズはKodak調でありながらも、富士のPROVIAを意識したのか、どこか少し今までのKodakとは違う感じがしてしまい、心から納得して使えないでいる。

 Kodakの行っているフィルムラインナップの整理というのは、経営を考えれば正しいとは思う。しかし、それは同時にフィルム屋としてのKodakの看板を降ろすようなもの。コダクロームやEPN、EPRといったフィルムはコダック社を代表する定番商品だった。それを終了するということは、例えるならスタインウェイがグランドピアノをやめて、電子ピアノを作るようなもの。グランドピアノをやめたら、幾ら最高の電子ピアノを作ったところで、それはもうスタインウェイではないのと同じだ。

愚痴っていても仕方ない。残された時間、黄色い箱に思い出を詰めに外にでようか!!


[ Kodak ちね☆ ]